図書館職場と経験学習

すでに述べたように,大学等における司書課程などの養成教育は,現状において図書館職員の資質向上に限定的な影響しか持たない。そのことを踏まえたとき,現職者に対する人材育成は重要性が増してくる。現職者の学びについて米澤の文献では5つの研究領域が示されていたが,その中でも,「経験学習」と「職場学習」(以下,経験学習と呼ぶ)が重要である。それは,現職者の学びの多くが働きながら,つまり経験しながらであることによる。ある社会人を対象にした調査によれば,仕事の学びの70%は経験からであるという。このことは,図書館職場でも大きく変わらないであろう。近年,経験学習に関して多くの研究がなされるようになっているが,日本の代表的な研究者として中原淳,松尾睦がいる。ここでは,2人の文献を参考に経験学習とはなにか,そして,経験学習を促進する要因を考えてみたい。

中原(2013)はコルブ(David A Kolb)の経験学習モデルを中心に経験学習について説明している。コルブは「学習」を,経験をとおして知識が形成されるプロセスと捉えた上で,4つの段階を示した。それは「具体的経験」「内省的観察」「抽象的概念化」「積極的な実験」である。これはサイクル(あるいはスパイラル)をなしており,「積極的な実験」のあとは「具体的経験」に戻る。こうした段階を経ながら人は経験から学んでいく。

この4つの各段階の説明に入る前に,図書館を想定した架空の事例を示しておく。このことは,「経験学習」の理解を助けるであろう。

図書館で高齢者が新聞の切り抜きをする事件が発生し,図書館職員Aは切り抜きをしていた利用者に注意した(具体的経験)。しかし,振り返ってみると当該利用者は日頃から認知症の症状が見られたこと,近年,図書館にはそうした利用者が増えていることに思いあたった(内省的観察)。そうした場合は利用者をしっかり観察し,必要に応じて関連機関と連携する必要があるのではとの考えに至った(抽象的概念化)。次回,類似の事案が生じたら,この経験を活かして適当な方法で対処しよう(積極的な実験)。

上記の架空の事例を踏まえて,4つの段階について中原の説明に即して説明していく。まず,「具体的経験」であるが,これは,「学習者が環境(他者・人工物等)に働きかけることで起こる相互作用のこと」とされる。コルブはこの概念を価値中立的なものとして示したが,研究者によっては管理志向で捉えるものがある。その場合,経験は図書館のミッション,目的などと関連づけられることになる。また現有能力を越える出来事を重視する研究者もいる。

つぎの「内省的観察」は学習者が職場を離れて,「自らの行為・経験・出来事の意味を,俯瞰的な観点,多様な観点から振り返ること,意味づけること」とされる。このとき振り返る対象には,「仕事の「出来映え」であったり,出来映えを左右するプロセス」の場合であったりする。また,振り返る程度も,ある出来事における個人の行動,振る舞いのこともあれば,ある個人が置かれた前提・状況,あるいはその社会的関係を対象とすることもある。後者の方がより深い「内省的観察」である。

「抽象的概念化」は「経験を一般化,概念化,抽象化し,他の状況でも応用可能な知識・ルール・スキーマやルーチンを自らつくりあげること」とされる。そして,最後の「積極的な実験」は「抽象的概念化でつくりあげた知識などを,新しい状況の中で実践すること」とされる。そして再び「具体的経験」へとつながっていく。以上,中原の文献によりながら「経験学習モデル」を説明した。

 「経験学習モデル」は,実際,私たちが日常的に行っていることである。松尾はこのプロセスをより効果的に行うために「経験から学ぶ能力」をモデル化している。そこで,次に松尾の議論にそって,どうすれば私たちは経験学習によってより効果的に成長できるのかを考えてみる。松尾は3つの直接的な促進要因と2つの活性化要因を挙げている。

まず,直接的な促進要因である。1つ目に「挑戦的仕事の追求」を挙げられる。これは,「難易度の高い挑戦的仕事を求める傾向」を指す。挑戦的な仕事を追求することで,具体的経験,積極的な実験の質が高まると考えられるのである。図書館の文脈で言えば,図書館の新館建設に関わることはその代表例といえよう。2つ目に「批判的内省」を挙げられる。「自身の行動を批判的に内省し,当然と考えがちな前提・価値・信念を疑うこと」である。これはダブルループ学習に近い概念であり,自身の行動を振り返るだけではなく,出来事の前提,価値も吟味の対象にするものである。さきほどの図書館の例で述べれば,図書館の活動を図書館の枠内だけで閉じずに,関係する団体,機関などとの連携も含めて,さらに福祉行政の文脈にも広げていくということになろうか。

3つ目が,「職務エンジョイメント」である。「個人が仕事自体によって内発的に動機づけられ,ポジティブな感情で職務に従事している状態」とされる。仕事自体に興味関心を持ち積極的に関わることで職務のポジティブな側面に気づく。そのことが経験学習を促進すると考えられる。図書館の仕事を楽しめること,そこに興味関心を見出すことができれば,経験からの学習を深めることができることになる。

つぎに松尾は,これら3つの直接的な促進要因を活性化する2つの要因を挙げている。一つが「学習志向」である。これは,「新しい知識やスキルを獲得したいという目標を重視する程度のこと」とされる。こうした傾向を持つ人は難しい目標を掲げ,失敗から学習できるといわれる。図書館の文脈で言えば,図書館職員は最初,図書館内部の様々な仕事を覚えていくことになるが,一定の経験を積んだあとは,図書館外に視野を広げていわゆるOFF-JTで新しい動向に触れたり,以前述べた「越境学習」によって個人的に様々な勉強会に参加したりすることなどが考えられる。場合によっては,まったく新しい組織,別の自治体の図書館であったり,本庁の組織であったりに異動し知見を広めることも考えられる。これは「組織再社会化」にあたる。

もう一つが「発達的ネットワーク」である。これは,「自身のキャリアに関心を示し,支援してくれる多様な人々との繋がり」のことを指す。こちらも,越境学習と関係する。職位が上がるにしたがって,本音で議論できる人が職場内で少なくなる。そうした中で,率直な意見をもらえるのは,組織外の利害関係のない人であろう。そうした人とつながることは,「経験からの学習」にとって有益であろう。

以上,中原と松尾の文献を参考に経験学習とその促進要因を見てきた。経験学習には多くの関連する実証研究がある。公立図書館と比較的近い領域では「教師」や「地方公務員」などがあるが,これまで図書館領域では取り組まれてこなかった。様々な仕事に共通する経験学習,その成長促進要因はあるとは考えられるが,領域固有のものもあるであろう。そうした研究を現職者の人材育成に役立てることは意義があるであろう。特に, 海外では図書館職員の認定制度などで,こうした経験からの学習を制度のバックボーンに位置づけている。つぎにそうした海外の図書館職員の認定制度について見てみたい。

中原淳. “経験学習の理論的系譜と研究動向.” 日本労働研究雑誌 55.10 (2013): 4-14.

松尾睦「第10章 OJTとマネージャーによる育成行動」中原淳編『人材開発研究大全』東京大学出版会, 2017, 896p.