社会関係資本と図書館

図書館は資料・情報を提供し,加えて各種プログラムを提供しているが,その外部効果として,コミュニティの社会関係資本(social capital)を高めると言われている。ここでいう社会関係資本とは,1990年代以降,特にアカデミックな世界で注目されてきた概念であり,その有無(あるいは高低)が地域の人々の幸福に関わっているといわれる。もちろん,個人の幸福にも関わるが,集合的なレベルの公共財として議論されることも多い。社会関係資本の定義はのちほど述べるとして,その意義は以下のような小麦の収穫の寓話からイメージできる。

農家Aは,隣の農家Bの小麦が稔るのが今日であることを知っているが,手伝わない。それは,Bに好意を持っていないためであり,それはBも同じである。明日にはAの小麦が稔るがBは手伝ってくれないであろう。仮にAが今日,手伝ったとしても,明日,BはAの小麦の収穫を手伝ってくれることはない。そして,AとBはともに刈り入れ時期を逃してしまい,すべてを収穫することができないであろう。

この例から示唆されるのは,お互いの信頼がなければ,協力・協調が進まず,結局,お互いにとってマイナスになるということである。逆に,信頼があれば,協力・協調が進み,お互いが利益を得る。このことがひいては幸福につながっていくというわけである。上記の例は社会関係資本を論じたロバート・パットナムが,デイヴィッド・ヒュームによる「集合行為のジレンマ」の寓話を引用したものである。

社会関係資本は,例えば文化資本を論じたブルデュー(Pierre Bourdieu)も論じており,決して新しいものではないが,社会学を超えて広く知られるようになったのはアメリカの政治学者ロバート・パットナム(Robert D. Putnam)の著作(『哲学する民主主義: 伝統と改革の市民的構造』『孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生』)からであろう。パットナムは社会関係資本を改めて整理した上で,それを変数化し,地域のその蓄積状況を量的に分析した。変数は社会への参加,投票行動,人々への信頼度などである。

ここで,改めて社会関係資本を確認すると,パットナムは以下のように述べている(『哲学する民主主義』から盛山和夫による訳)。

社会関係資本は,調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる,信頼,規範,ネットワークといった社会組織の特徴をいう。……自発的な協力が社会関係資本によって促進される。

「信頼」「規範」「ネットワーク」を社会関係資本の特徴としていること,それは社会の効率性を改善できること,自発的な協力により促進されることを指摘している。また,社会関係資本を2つに分けた。ひとつが「結束型」(bonding social capital)であり,これは同質的な人々の間に生まれる強い結びつきである。もうひとつは「橋渡し型」(bridging social capital)であり,異質な人々の間に生まれる横断的な結びつきである。図書館の文脈で言えば,コミュニティ内の市民を結びつけるのは前者,異質な市民を結びつけるのは後者に該当する。

社会関係資本がもたらすことはすでにいくつか触れてきたが,パットナムによる著作ののち,様々な研究領域で関連の研究がなされてきた。そうした中で,社会関係資本の効果として議論されてきたものを挙げれば,健康,高い教育達成,治安のよさ,住みやすさ,経済的成功,政府の効率性,民主主義などである。これらの研究の多くは社会関係資本があることにより生まれる効果を明らかにしてきたが,何らかのことがらが社会関係資本を生み出し蓄積することを明らかにする研究もある。前者は社会関係資本を原因と捉え効果を探るものであるのに対して,後者は結果と捉えるものである。

社会関係資本は1990年代以降,さまざまに研究されておりその中には批判もある。例えば強い結びつきは「しがらみ」「悪縁」ともなる。また,社会関係資本を構成する変数をパッケージ化することへの批判もある。それぞれ独立した変数であり,別々に扱うべきであるというものだ。因果関係については,因果の向きが明確ではないとも指摘される。確かに相関関係は出やすいが,因果の証明は簡単ではない。

社会関係資本と図書館との関係についてはどうであろうか。パットナムは先程の著作では,図書館に触れていなかったが,『Better Together Restoring the American Community』という著作で,1章を割いて取り上げている。取り上げられたのはアメリカ,シカゴのニア・ノース(Near North)分館である。パットナムはこの図書館が異なるタイプのコミュニティをつなげる橋渡し型の社会関係資本構築に役立っていると論じている。

社会関係資本に関わる研究は図書館情報学の研究者によっても行われてきた。それらの多くは図書館が社会関係資本を高める可能性を探る研究である。そのメカニズムとしては,図書館が交流機会などを提供することで,地域の社会関係資本を高めるといったものである。例えば北欧のPLACEプロジェクトは多文化社会におけるミーティング・プレイスとしての図書館を研究しているが,それはそうした場が社会関係資本構築に貢献するためである。こうした議論はサードプレイスとしての図書館,「場所としての図書館」とも関係している。また,図書館員と利用者との結びつきを研究したものもある。これは,そうした結びつきが利用者をエンパワメントするというものである。

上記の研究は,パットナムの議論を踏まえて直接的な人と人の結びつきを対象としているが,そうした社会的ネットワーク,信頼を拡張し,多様な価値観と出会う場所,世界の複雑さに接する場所という観点から図書館の可能性を論じる研究もある。図書館に所蔵する資料,利用する人々の多様性が,世界の複雑さに気づかせてくれるというものである。同様に,図書館がコミュニティのあらゆる人々を分け隔てなく歓迎することがコミュニティの信頼醸成に貢献するという研究もある。それらは公正な制度が社会関係資本構築に役立つと捉えるものである。この議論は,エリック・クリネンバーグによる「社会インフラ」の議論に近づくものである。

上記のような研究に対する批判もある。例えば,実際の図書館では利用者間の相互作用は多く生じておらず,ミーティング・プレースとしての機能は限定的であるといったものである。また,図書館利用者の社会関係資本のデータをとると,多く利用する利用者ほど社会関係資本が高い傾向が見られる(片山他, 2015)。このことは,図書館は「富めるものはさらに富む」というマタイ効果を促進しているという批判にもつながる。

とはいえ,社会関係資本の議論を図書館の実践に活かすことはできる。そもそも,海外の実証研究の多くは,図書館が社会関係資本を高めることに一定の効果を持つ可能性を論じているし,社会関係資本が住みやすい地域づくりに貢献することは多くの研究が論じるとおりである。利用者を分け隔てなく歓迎すること,居場所,滞在型の空間を設けること,利用者同士の交流を促すスペース,プログラムを提供すること,アウトリーチを積極的に行い,社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)の観点から図書館を利用しない市民にアプローチすること,などをとおして,図書館はコミュニティをより住みやすくする可能性を持っている。

Putnam, Robert D.『哲学する民主主義: 伝統と改革の市民的構造』[Making democracy work : civic traditions in modern Italy] 河田潤一訳, NTT出版, 2001, 318p.

Putnam, Robert D.『孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生』[Bowling alone : the collapse and revival of American community] 柴内康文訳, 柏書房, 2006, 689p.

盛山和夫『協力の条件: ゲーム理論とともに考えるジレンマの構図』有斐閣, 2021, 380p.

Putnam, Robert D.; Feldstein, Lewis M.; Cohen, Don. Better together: restoring the American community. Simon & Schuster, 2003, 318p.

柴内康文. 公開講演会記録 図書館とソーシャル・キャピタル, St. Paul’s librarian[立教大学学校・社会教育講座司書課程編] (30) 1-25, 2015.

片山ふみ・野口康人・岡部晋典「図書館は格差解消に役立っているのか?」『シノドス』2015.12.7. https://synodos.jp/opinion/society/15672/.