図書館が直面する危機はなにか。ここでは,Mark Smith氏が2019年にPublic Library Quarterly誌に発表した論文「図書館が直面する10の課題」(Smith, 2019)をガイドに,日本の図書館の状況を整理したい。Smith氏は,テキサス州立図書館をはじめ35年以上の図書館経験を持つベテランのライブラリアンである。以下,Smith氏の指摘するアメリカの状況をかんたんに整理した上で(太字部分),日本における状況を整理する。
1. 政府への不信の高まり:アメリカでは,政府,特に連邦政府へ不信が高まっている。闇の政府,「ディープステート」のような陰謀論も広がっている。こうした動向が,図書館に直接的な影響を与えないとしても,「公共部門」への不信が結果的に図書館に影響を与える可能性がある。
OECDなどの調査によると,政府への信頼度は日本でも高くない。「公務員バッシング」は依然として続いている。政府への信頼を表すとされる投票率も長期間にわたり低下傾向にある。政府自体にも問題がある。公文書の書き換え,統計情報の改ざん,政治プロセスのブラックボックス化(会議の議事録を作成しない等),コロナ対策の失敗(特に初期において)は,政府への不信を高めている。
こうした,政府への不信の高まりに対して図書館ができることは少ない。しかし,オープンデータ,デジタル化された行政情報を含めて,政府(自治体)レベルの情報の収集・蓄積・保管による透明化への貢献は意義がある。こうした状況下,図書館の強みを発揮するチャンスにもなる。
2. 客観的情報への信頼低下:気候変動,食品,医学などの科学的知識への信頼の喪失,マスメディアへの批判などにより社会の様々な場で「分断」が生じている。信頼できる情報を提供する図書館にとって,大きな挑戦となっている。
科学的知識・客観的情報と言われるものに対する「正しさ」の評価はますます難しくなっている。日本でも,そうした知識・情報への信頼低下を感じさせる出来事には事欠かない。学術会議任命拒否問題では,大学教員に対する批判も見られた。「ポスト真実」の時代,「反知性主義」といった言葉も聞かれるようになった。また,マスメディアは時に「マスゴミ」とも蔑称され,新聞もその政治的スタンスを含めて読まれ批判される(過剰でない限りそうした読み自体は間違っていないが)。
図書館は,こうした時代だからこそ,一定の手続きを経た知識・情報の提供,さらには情報リテラシー,メディア・リテラシーへの関与を好機として取り組むことが期待されるはずだ。
3. 礼節と市民関与の低下:上記のような政府,公共機関への信頼低下に起因して,公共機関における市民の活動低下が危惧される。このことは図書館に対する市民の関与低下をもたらすかもしれない。
近年の図書館は,市民との協働・連携が不可欠だ。実際,障害者サービス,児童サービスでは多くのボランティアが関わっている。それら以外にも友の会など,図書館を支える市民は多い。日本での関与の動向ははっきりとはわからないが,低下要因を考えたとき,政府への信頼低下に加えて,高齢化,女性の就業率上昇,図書館の民営化など,社会・経済環境変化も加わる。
4. 消える中間層:図書館利用者のボリュームゾーンは,かつてミドルクラスだった。しかし,彼らは社会から消えつつある。そして,貧困層の利用が増加し,ホームレスも増えている。その重荷が図書館にのしかかってきている。
教育社会学は学校教育を中心に社会階層に焦点を当てた研究を蓄積してきた。しかし,LIS研究で社会階層と利用者を結びつけた研究は情報入手の関係もあり,少なくとも日本ではほとんど行われてこなかった。中間層の減少は顕著ではないにしろ,マクロな人口動態変容に伴い,利用者のデモグラフィック属性は変化し,静かに図書館に影響を与えているかもしれない。
5. 納税者の反乱と投資収益率(ROI)の独裁:課税に対する抵抗と高いROIが至上命題となっている。
税制の違いもあり,日本では地方自治体レベルで課税への反乱が顕在化することは少ない。また,図書館の運営費に対して高いリターン(何らかの形で便益を金銭化したもの)を日常的に求められることは少ない。しかし,図書館建設や公共施設再編など長期的,大規模な予算支出が意識される場合,投資に見合うリターンがあるのかが問われることは確かにある。特に電子図書館とAIの出現は一部に「図書館(職員)不要論」を想起させている。ROIについては,海外では活発に研究されている。日本でも池内淳氏(筑波大学)が多くの研究を発表している。実践面でROIを示していくことは,日本では図書館に対する社会の認識を新たにしてもらう機会となるかもしれない。(つづく)
Smith, M. (2019). Top Ten Challenges Facing Public Libraries. Public Library Quarterly, 38(3), 241–247. https://doi.org/10.1080/01616846.2019.1608617