新自由主義的言説の図書館への浸透

新自由主義(neoliberalism)は,その評価は別にして2000年代以降の日本の公立図書館の主要な「変革」のエンジンの一つであった。公共サービスへの民間アクセスの開放(つまり指定管理者制度),評価文化の浸透はその代表である。新自由主義的な政策採用は日本独自のものではなく,グローバルに進行した。では,他の国の図書館界ではどのような議論があったのか。そのことを知ることで,改めて日本の受容を批判的に捉える契機が得られる。

今回とりあげる文献は,イギリスの公共図書館政策の文書を分析し,新自由主義的言説(discourse)が,どのように現れているかを分析したものである。著者はマーガレット・グリーン氏とデイビッド・マクメネミー氏である。分析対象となったのは,イギリスで図書館を所管する文化・メディア・ スポーツ省(Department for Culture, Media and Sport,以下 DCMS)による1997年から2010年までの公共図書館に関わる51件の文書である。

1997年,イギリスでは,労働党のトニー・ブレアが政権を獲り「第三の道」を掲げた。それ以降,『新しい図書館―市民のネットワーク』(New library: The People’s Network)や『将来に向けての基本的考え方―今後10年の図書館・学習・情報』などが出されたことは,日本でも紹介されている。一方で,貸出点数が減少し,図書館廃止が一部で進行したことも知られているが,情報化への対応,社会的包摂への対応などに代表される新しい社会への取り組みなど,日本が「見本」にすべき図書館としての評価に変わりはなかったように思う。そのイギリスは,2010年代以降の緊縮財政政策により,図書館の大量閉館やコミュニティ図書館拡大などで,活動は大きく停滞している。それに先立つ時期,新自由主義的政策の浸透は,どのような形をとったのか。ここでは文献に挙げられた論点のうち6点を挙げてみる。

1点目は「管理主義と脱専門家主義」である。この間,専門職が減少しNPM(New Public Management)あるいは「管理」を職務とする職が増加した。文書では,管理主義(managerialism)の浸透と,専門職軽視(専門職と非専門職の同一視)が強調されている。確かに最善のサービス提供が謳われていたが,それは伝統的な専門職によるものと異なる点に注意が必要である。こうした専門職への嫌悪は公共サービス全体で蔓延していることが知られており,左翼文化(left-wing culture)による反エリート主義が関係しているかもしれないし,管理主義と親和性のない専門職へ攻撃と関係しているのかもしれないと分析される。

2点目として「衰退の物語(narratives of decline)」が挙げられる。図書館のコストが増大し,コストパフォーマンスは悪化している。文書ではこうした図書館の非効率が指摘される。そして,改革できなければ図書館は存続できないと繰り返し指摘される。図書館には,良質なサービスを効率的に提供することが期待されている。このことは両立困難であるにも関わらず,解決は図書館に押し付けられているようである。

3点目は「書店モデル」である。文書では,公共図書館が書店の成功とベストプラクティスから学ぶべきことが強調されている。公共部門のサービスは民間部門に求めるべきとされる。ここでは図書館は公共部門に属しているにも関わらず,民間部門との連続性が仮定されている。そして,市民・利用者を「顧客」と呼ぶように,図書館の世界に市場の言葉(language)が違和感なく入り込むようになっている。

4点目は「選択と「市民―消費者」」ここでは「市民―消費者」というハイブリッドな用語が注目される。文書では,イギリスの公共サービス改革は市民を消費者と同一視することによって推進されると指摘される。公的領域であっても,効率的で質の高いサービス提供が求められるようになる。効率的で質の高いサービスは経営で用いられるマーケティングによって可能となる。それによりパーソナライズされたサービスが「顧客」に届けられる。

5点目は「標準化」である。文書では,コミュニティの固有性への配慮よりも標準化が志向されている。そして,以下のようなロジックが使われている。すなわち,コミュニティの中には,人々の繋がりが弱く,非公式のネットワーク,情報交換が不十分であることがある。そうしたコミュニティでは,情報が滞留し人々にうまく流れない。図書館はそうした環境改善に役立ちうる。住民のライフスタイルにあった開館時間の設定,専門的で親切なスタッフ,適切で基礎的なサービス,アウトリーチ活動など,均一で標準的なサービス提供が期待されている。

6点目は「コプロダクションの物語」である。文書では,コミュニティとの協働が強調され,受動的な市民像から,ボランティアによるサービスへの積極的関与が期待されている。そのことは地域の再生,そしてコスト削減につながるとされる。この背景には社会民主主義的な責任ある市民像が掲げられている。確かに,市民を国家から開放するという側面はあるが,実際には自己責任論を押し付けていると分析される。

以上,グリーン氏等の文献を紹介した。DCMSがイギリスの図書館政策にどの程度影響力を持つのかは別の議論としてある(須賀, 2011)。同時に,こうした政策文書はそもそも多様な政策的背景を持つ言説が流れ込む性質がある。そのため,新自由主義的な言説とともに,その負の側面を緩和する言説(例えば社会的包摂)もある。とはいえ,この文献は,新自由主義的言説が図書館の価値と衝突する側面を示している点で興味深い。

この文献を踏まえて,日本の図書館状況を省みるとき,その歴史的経緯や社会経済条件は異なるものの,共通する部分もある。管理主義の進展,衰退の物語,コプロダクションなどは,影響の程度の強弱はあるにしろ,一定程度共有されているのではないだろうか。

図書館をめぐる議論では,気づかぬ間に新自由主義的な価値観が紛れ込み,それがいつの間にか規範化し,その当否は十分吟味されないことがある。このことに気づかせてくれる点はこの文献の意義として挙げられる。例えば,管理主義については,日本でもその一形態である評価活動が法制度化され,実際に多くの図書館で規範化し実施されており,ときには精緻化が進んでいる。しかし,その有効性の検証は十分されていない。さらに厄介なのは,図書館の価値との整合性と無関係に図書館関係者がこうした言説を内面化し知らぬ間に推進することである。そのことによって,場合によっては図書館の価値が壊され,あるいは組み替えられ,または空洞化することもある。確かにそのことに抗することは困難だとしても,少なくとも自覚的でありたい。

Greene, Margaret, and David McMenemy. “The emergence and impact of neoliberal ideology on UK public library policy, 1997–2010.” Library and information science trends and research: Europe. Emerald Group Publishing Limited, 2012.

須賀千絵. “英国の公共図書館政策に関わるアクターの相互関係.” 専修人文論集 88 (2011): 97-114.